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沿革?歴史

東京藝術大学沿革

昭和24年5月 東京藝術大学 創立
昭和25年4月 音楽学部に邦楽科を設置
昭和26年4月 大学別科(音楽)を設置
昭和27年3月 国立学校設置法の改正により、東京美術学校,東京音楽学校を廃止
昭和29年4月 美術専攻科及び音楽専攻科を設置
昭和29年4月 音楽学部附属音楽高等学校を千代田区神田駿河台に設置
昭和38年4月 大学院美術研究科、音楽研究科(修士課程)を設置
昭和40年4月 美術学部附属古美術研究施設を奈良市に設置
昭和45年4月 芸術資料館を設置
昭和48年4月 保健管理センターを設置
昭和50年4月 美術学部工芸科を改組し、工芸科とデザイン科を設置
言語?音声トレーニングセンターを設置
昭和51年5月 美術学部附属写真センターを設置
昭和52年4月 大学院美術研究科、音楽研究科に博士後期課程を設置
昭和57年8月 那須高原研修施設を設置
昭和62年3月 取手校地取得(164,401平方メートル)
昭和63年4月 留学生センターを大学の内部組織として設置
平成3年10月 取手校地を開設
平成7年4月 大学院美術研究科に、独立専攻として文化財保存学専攻を設置
音楽学部附属高等学校を上野校地に移転
平成8年3月 松戸に国際交流会館を設置
平成9年4月 演奏芸術センターを設置
平成10年4月 大学美術館を設置(芸術資料館の転換)
平成11年4月 美術学部の既設学科を改組し、先端芸術表現科を取手校地に設置
平成12年4月 情報処理センター(芸術情報センター)を設置
平成13年4月 副学長の設置
事務局?学生部事務一元化
平成14年4月 取手校地に附属図書館取手分室を設置
音楽学部の既設学科を改組し、音楽環境創造科を取手校地に設置
平成15年4月 大学院美術研究科(修士課程)に先端芸術表現専攻を設置
平成16年4月 国立大学法人法の制定及び国立学校設置法の廃止により、これまで国の機関の一部であった本学は、法人格を取得し、「国立大学法人東京藝術大学」となり、同時に東京藝術大学を設置
平成17年4月 横浜校地を開設
大学院映像研究科(修士課程)映画専攻を設置
平成18年4月 大学院映像研究科(修士課程)にメディア映像専攻を設置
平成18年4月 大学院音楽研究科(修士課程)音楽学専攻を改組し、音楽文化学専攻を設置
平成18年9月 千住校地を開設
音楽学部音楽環境創造科を千住校地に移転
平成19年4月 大学院映像研究科に博士後期課程を設置
平成19年4月 社会連携センターを設置
平成20年4月 大学院映像研究科(修士課程)にアニメーション専攻を設置
平成22年5月 社会連携センターを学内教育研究組織として整備
平成28年4月 大学院国際芸術創造研究科(修士課程)アートプロデュース専攻を設置
平成28年4月 大学院美術研究科(修士課程)にグローバルアートプラクティス専攻を設置
平成28年4月 大学院音楽研究科(修士課程)にオペラ専攻を設置
平成30年4月 大学院国際芸術創造研究科に博士後期課程(アートプロデュース専攻)を設置
令和4年4月 未来創造継承センターを設置
令和5年4月 芸術未来研究場を設置

なお、本学の前身であった東京美術学校、東京音楽学校の沿革は、次のとおりです。

東京美術学校沿革

 明治17年7月、文部省専門?普通両学務局に図画教育改良を目的とする図画調査会がおかれ、調査の結果、官立美術学校を設立することに決定しました。
翌18年12月、文部省学務一局に図画取調掛がおかれ、アーネスト?フェノロサ、岡倉覚三、狩野芳崖、狩野友信その他が委員となって設立の準備を始めました。同掛は明治19年2月に事務所を小石川植物園内に移し、岡倉覚三がその主幹となりました。
 同年9月に文部省は宮内省と協議の上、文部省参事官浜尾新を委員長とし、フェノロサ、岡倉を委員として欧米の美術及び美術教育視察を行わせ、翌20年10月に図画取調掛は東京美術学校と改称し、校則を定め、21年12月に教育博物館跡(現在地)に移転しました。
 明治22年2月、わが国固有美術の振作発揚を旨とする5年制の学校として、当初は普通科(2年)、専修科(3年)、特別の課程(1年)を置き、授業を開始しました。

 普通科では実技は絵画?造形を兼習し、専修科では絵画(日本画)、彫刻(木彫)、美術工芸(金工?漆工)の3科に分れ,普通図画教員志望者は、普通科修了後、特別の課程を履修すること